大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和34年(オ)781号 判決

判   決

札幌市南六条西四丁目日本住宅公団薄野住宅四〇一号

上告人(附帯被上告人)

西村一男

右訴訟代理人弁護士

庭山四郎

小林尋次

川崎市港町一二五番地

被上告人(附帯上告人)

日本コロンビア株式会社

右代表者代表取締役

瀬谷藤吉

横浜市神奈川区守屋町三丁目一二番地

被上告人(同)

日本ビクター株式会社

右代表者代表取締役

百瀬結

川崎市堀川町七二番地

被上告人(同)

東京芝浦電気株式会社

右代表者代表取締役

岩下文雄

東京都港区赤坂青山北町六丁目五七番地

被上告人(同)

日本グラモフオン株式会社

右代表者代表取締役

伊沢信賢

東京都港区芝田村町六丁目六番地白川ビルデング

被上告人(同)

日本ウエストミンスター株式会社

右代表者代表取締役

香西政一

東京都港区芝新橋五丁目六番地

被上告人(同)

日蓄工業株式会社

右代表者代表取締役

高木次郎

奈良市肘塚町一四八番地

被上告人(同)

テイチク株式会社

右代表者代表取締役

南口豊治

東京都港区芝白金今里町一〇一番地

被上告人(同)

新世界レコード株式会社

右代表者清算人

長谷川敏三

東京都荒川区尾久町六丁目四四〇番地

被上告人(同)

キングレコード株式会社

右代表者代表取締役

町尻量光

右九名訴訟代理人弁護士

松井正道

勝本正晃

右当事者間のレコード使用禁止等請求事件について、札幌高等裁判所が昭和三四年五月二九日言い渡した判決に対し、上告人および附帯上告人らから、各敗訴部分につき破棄を求める旨の上告申立および附帯上告申立があつたところ、当大法廷は裁判所法一〇条一号、最高裁判所裁判事務処理規則九条三項により、附帯上告代理人城戸芳彦名義、同松井正道の附帯上告理由第一点について、次のとおり判決する。

主文

本附帯上告論旨は理由がない。

理由

論旨は、原審が本件に適用した著作権法三〇条一項八号の憲法二九条違背をいう。すなわち、昭和九年の著作権法の改正によつて新設された右三〇条一項八号は、何らの財産上の補償なくして所論録音物著作権(同法二二条ノ七)の内容たる録音物による興行権を剥奪する規定であつて、明らかに憲法二九条に違反するというのである。

しかし、憲法二九条は、一項において「財産権は、これを侵害してはならない」旨規定し、私有財産制の原則を採るとはいつても、その保障は、絶対無制約なものでなく、二項において「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように法律でこれを定める」旨規定しているのであり、これは、一項の保障する財産権の不可侵性に対して公共の福祉の要請による制約を許容したものにほかならないことは、すでに累次の大法廷判決が判示するところであつて(昭和二九年(オ)第五四二号同三三年四月九日言渡民集一二巻五号七一七頁、同二九年(オ)第二三二号同三五年六月一五日言渡民集一四巻八号一三七六頁、同三〇年(オ)第九〇二号同三五年一二月二一日言渡民集一四巻一四号三一四〇頁、同三二年(オ)第五七七号同三六年一月二五日言渡民集一五巻一号八七頁、同三四年(オ)第五〇二号同三七年六月六日言渡民集一六巻七号一二六五頁参照)、著作権法三〇条は、一定の場合に限つて著作物を公益のため広く利用することを容易ならしめる目的で、同条一項各号の方法により著作物を複製することは偽作とみなさないものとした法規であり、同法二二条ノ七の録音物著作権についても、右三〇条一項八号により興行又は放送の用に供することは偽作とならないものとされているのである。

そして、右の如く著作物の利用を許容するのは一定の場合の利用に限定しており、かつ同条二項において、その利用の場合は利用者に出所明示義務を負わせて著作権者の保護をもはかつているのである。すなわち、同条は、所論一項八号の規定を含めて、著作権の性質に鑑み、著作物を広く利用させることが要請され、前記のような要件のもとにその要請に応じるため著作権の内容を規制したものであつて、憲法二九条二項にそうものであり、これに違反するものでないということができる。

右のような場合に、憲法の同条項により財産権の内容を公共の福祉に適合するように法律をもつて定めるときは、同条三項の正当補償をなすべき場合に当らない。

よつて、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁判所大法廷

裁判長裁判官 横 田 喜三郎

裁判官 河 村 又 介

裁判官 入 江 俊 郎

裁判官 下飯坂 潤 夫

裁判官 奥 野 健 一

裁判官 石 坂 修 一

裁判官 山 田 作之助

裁判官 横 田 正 俊

裁判官 斎 藤 朔 郎

裁判官 草 鹿 浅之介

裁判官 長 部 謹 吾

裁判官 石 田 和 外

上告代理人小林尋次の上告理由

一、原判決は、被上告会社等(第一審原告、第二審控訴人)が蓄音機レコードに依る興行又は放送の権利を有していないのに拘らず、法令を誤解して上記権利を有しているものと判断の上、その請求を肯認して、上告人(第一審被告、第二審被控訴人)に対して、著作権法第三十条第二項の規定に基く出所明示の義務を命じている。これは畢竟、著作権法第二十二条ノ七中に規定しているところの「著作者ト看做シ其ノ機器ニ付テノミ著作権ヲ有ス」との法文の趣旨内容を正当に理解しない結果、同条の規定を本件につき不当に適用したものであつて、このことは、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背を犯しているのであるから、原判決は破棄を免れないものと確信する。

二、原判決はその判決理由中において、「案ずるに、蓄音機レコードの目的とするところはレコードに録音された音楽等をレコードから再生して公衆に聴取せしむることは、蓄音機のみを使用すると、蓄音機の外に音響をそのままに伝達する電気通信の設備を使用するとを問はず、レコードの複製に当るものというべきであつて、このことは著作権法第三十条第一項第八号の規定のあることによつても明らかである。そして、有線放送設備は音響をそのまま不特定又は多数の受信者に伝達する電気通信の設備であるから、レコードに録音された音楽等を再生してこれを有線放送することはレコード複製の一態様であつて、レコード著作権のなかに含まれると解すべきである」と述べ、また「同法第三十条第一項第八号にいう興行には有線放送を含むと解するのが相当である」とも述べて、写調者(録音者)たる被上告会社等は、レコードに依る興行又は放送の権利をも有するものと判断している。ところが著作権法中には、写調者(録音者)の有する著作権に、その録音された機器(レコード等)に依る興行又は放送の権利を包含するものとするの規定が存在しない。

三、写調者(録音者)の有する著作権に関する著作権法中の規定は、同法第二十二条ノ七が存するのみであるから、原判決は同法同条の規定を解釈して上述の如く判断したものと考えられるが、それは同条の趣旨内容の重大なる誤解である。同条の正当なる解釈からすれば、録音著作権には、録音された機器(レコード等)による興行又は放送の権利が包含されていない。

四、著作権法第二十二条ノ七が「音ヲ機械的ニ複製スルノ用ニ供スル機器ニ他人ノ著作物ヲ適法ニ写調シタル者ハ著作者ト看做シ其ノ機器ニ付テノミ著作権ヲ有ス」と規定しているのは、その写調された機器を、機器から機器に機械的に複製するの著作権のみを意味しているのであつて、その機器により興行又は放送するの権利を、写調者(録音者)の著作権から排除しているのである。このことは、同条の直ぐ前にある条文(第二十二条ノ六)と較べて見るがよい。第二十二条ノ六には「文芸、学術又ハ美術ノ範囲ニ属スル著作物ノ著作権ハ其ノ著作物ヲ音ヲ機械的ニ複製スルノ用ニ供スル機器ニ写調シ及其ノ機器ニ依リ興行スルノ権利ヲ句含ス」と規定しているのであるから、レコード等に写調される。原著作物の著作者が、(1)レコード等に写調するの権利と合せて、(2)そのレコード等に依り興行するの権利をも有していることは明らかであるが、それは原著作物の著作権に限るのである。二次的著作物である録音物(レコード等)の著作権に関する第二十二条ノ七の規定は、上記(1)および(2)の二つの権利のうち後者、即ち録音物(レコード等)に依り興行するの権利を排除する意味で、特に「其ノ機器ニ付テノミ」と著作権を限定し、また次項で述べる如き立法方法を採用して、即ち「本法ノ保護ヲ亭有ス」とは立言しないで、単に「著作権ヲ有ス」と立言しているのである。即ちレコー等に依り興行するの権利は、原著作物の著作者だけがこれを有しているのであつて、録音著作権者はこの権利を有していないのである。

五、著作権法は、著作者の創作した成果を保護しているのであるが、その創作成果のうちには、原始的創作にかかるもの即ち原著作物(一次的著作物)と、他人の著作物を利用して創作にかかるもの即ち二次的著作物との区別が存する。この二次的著作物の作者を、著作者と看做してその権利保護を与えるに当り、わが国著作権法は立法方法として、二つの異なつた方法をとつている。即ち

(一) 「著作者ト看做シ本法ノ保護ヲ享有ス」(これを本来の二次的著作権と称す)

(二) 「著作者ト看做シ……‥著作権ヲ有ス」(これを準二次的著作権と称す)

そこで、この二つの立法方法の相異点の検討から始める。

右記(一)の本来の二次的著作権に関する立法方法をとつている条文は、著作権法第二十一条(翻訳者作物)、第二十二条(美術者作物の異種複製)、第二十二条ノ四(二次的映画著作物)である。

右各条文は一貫して「本法ノ保護ヲ享有ス」と立言しているのであつて、その意味は、原著作物(一次的著作物)の著作権に関する著作権法中の規定はすべて二次的著作物にも適用されるとの趣旨である。換言すれば、二次的著作物の著作者は、原著作物(一次的著作物)の著作者と全く同一の権利保護に均霑ができるとの意味である。此の場合において、二次的著作者の権利と原著作者(一次的著作者)の権利との調整を図るため、上掲各条文は一貫して、「但シ原著作者ノ権利ハ之ガ為に妨ゲラレルコトナシ」と規定している。その意味は、二次的著作権は原著作権と独立して別個に著作権が発生するが、その権利は原著作者の権利を侵害してはならないとの趣旨である。

次に右記(二)の準二次的著作権に関する立法方法をとつている条文は、著作権法第十四条(編輯著作物)と第二十二条ノ七(録音物の著作権)との二つの条文だけである。

右二つの条文は一貫して、「著作権ヲ有ス」と立言して「本法ノ保護ヲ享有ス」との立言を避けている。その意味は、準二次的著作者は原著作者(一次的著作者)の権利保護に関する著作権法中の規定のすべてに均霑し得ないものであつて、当該準二次的著作権を設定する条項に定められた権利だけを有するに止まるとの意味である。なおその権利が限定されたものであることを明らかにするため、録音物の著作権については「其ノ機器ニ付テノミ」との限定文句を付記し、編輯著作物については「其ノ編輯物ニ付テノミ」との限定文句を付記しているのである。即ち、準二次的著作物の著作者の著作権は、原著作物の著作者の著作権よりも狭いものであることを明定しているのである。此の場合において、準二次的著作者の権利と原著作者の権利との調整については、上掲二つの条文はいずれも「適法に写調(編輯)シタル者ハ」と規定している。その意味は、予め原著作物の著作権者の許諾を受けた場合でなければ、準二次的著作権は発生しないとの趣旨である。前記の本来の二次的著作権の場合はこれと異なり、予め原著作物の著作権者の許諾を受けない場合であつても、二次的著作物につき独立に著作権が発生するのである。

六、右述のことで明白な通り、著作権法第二十二条ノ七で規定されている録音物の著作権は、準二次的著作権である。従つて、原著作物(一次的著作物)の著作権に関し規定されている同法第二十二条ノ六は写調者(録音者)の著作権に対しては適用されない。換言すれば、原著作物の著作者が享有している(1)写調権と(2)写調(録音)された機器により興行するの権利との両者をその儘合せて、写調者(録音者)が享有することはできない。写調者は唯だ写調(録音)された機器に付てのみ(第二十二条ノ七中の立言)の権利、即ち機器から機器に機械的に複製するの権利のみを有するに止まるのである。即ち写調者の著作権には、その機器により興行する権利を句含しないことが明白である。

このことは、当該機器に依り放送するの権利についても同様に言い得る。著作権法中で放送権を肯認している条文は第二十二条ノ五であるが、同条は原著作物に関する規定であつて、右述(第五項参照)の通り準二次的著作権に付ては適用を見ないのであるから、第二十二条ノ七に基く写調者(録音者)の著作権には、放送権が包含されていない。

七、次に著作権法第三十条の規定の検討に進むこととする。

元来著作権保護という制度は、著作者の創作努力の成果に対して権利保護が与えられるものであるが、著作物というような文化的所産については、できるだけ広く社会公共の人々に利用させ均霑させることが、社会福祉、文化向上に必要不可避の要請でもあり、また他面において、いかなる著作物もその著作者独力の純粋の創造というものは考えられず、その著作物のできるのには、何らかの形で過去、現在の社会文化の御蔭を蒙つているものであるから、社会公共の人人に対して適正にその著作物を利用するの機会を与えるため、著作者が或る程度その権利上の専恣を抑制されることは、これを忍容せねばならぬ社会的責務である。この配慮から著作権の行使につき適正なる制限を加えているのが、著作権法第三十条の規定である。

ところが同条第一項第八号において、「音ヲ機械的ニ複製スルノ用ニ供スル機器ニ適法ニ写調セラレタルモノヲ興行又ハ放送スルコト」を、権利者に無断でやつても偽作と看做されないこととしているのは、一体、何人の著作権の専権を制限しているかを考えて見よう。上述したところで明らかな通り、録音物たる機器(レコード)等を用いて興行又は放送するの権利は、原著作物(一次著作物)の著作権者だけが有しているのであつて、写調者(録音者)の著作権には興行又は放送の権利が存在しないのであるから、第三十条第一項第八号の規定は、原著作物の著作権者の権利制限ではあるが、録音物(レコード等)の著作権者の権利制限ではないと言はなければならぬ。

なおここで附言して置きたいことは、原判決では、著作権の内容は複製権であるとなし、複製権さえあれば興行権も放送権も含まれる如く判断していることが、その判決理由中に窺われるが、これは重大なる誤解か、または著作権法中の条文の見落しである。著作権法第一条ではその第一項で、「著作者ハ其ノ著作物ヲ複製スルノ権利ヲ専有ス」と規定し、同条第二項では「各種ノ脚本及楽譜の著作権ハ興行権ヲ包含ス」と明白に規定している。即ち興行権は法定された場合に限り、著作権に包含するとの建前である。レコード等に著作権を有しておれば、当然にその著作権者は、興行権を有しているとは言い得ないのである。放送権についても同様である。

八、そこで上来述べたところによつて、結論を述べることとする。録音物たるレコード等の著作権には、そのレコード等により興行又は放送するの権利を包含しない。従つて著作権法第三十条第一項第八号については、原著作物の著作権者との関係ならば別問題であるが、レコード等の著作権者との関係では、権利行使の制限という問題は起つて来ない。従つて同条第二項の規定による出所明示の義務という問題も起つて来ない。従つて原判決の主文にある如き命令をするの根拠は著作権法中の規定のどこにも存在しない。即ち原判決は、元来訴訟当事者たるの適格を欠く者に対して勝訴の判決をするという法令違背を犯しているのであるから、破棄を免れないものと確信する。

尤も写調者(録音者)たる被上告レコード会社等が、原著作物の著作権者から、機器に依る興行又は放送するの権利の譲渡を受けて伝来的権利を有している場合とか、又は適法に原著作物の著作権者の権利を代位し得る地位を有している事実がありとせば、訴訟当事者たるの適格を有することは勿論であろうが、前審及び第一審の記録を精細に検討して見ても、それらの事実の形跡は全然見当らず、勿論前審判決中には、その種の事実確定は毛頭されていないことを附言しておく。          以 上

上告代理人庭山四郎の上告理由

第一点 原判決は理由不備の違法があるから破棄を免れない。

一、第二審判決は

原判決を左の通り変更する。

一審被告は、別紙目録記載のレコードを有線放送に使用する場合、各レコードにつき使用の都度、レコード及び楽曲の各題名、作曲者、編曲者、作詞者、演奏者、歌唱者及びレコード著作権者の各氏名を明瞭に放送せよ。

――以下省略

と主文に謳つている。

二、而してその″別紙目録記載のレコード″なるものは

目  録(一)

日本コロンビア株式会社

コロンビアM・G・Mレコード番号順総目録

一九五七年度版三百五十二帖

目  録(二)

日本ビクター株式会社

ビクターレコード、ビクター番号順総目録

一九五七度版二百二十四帖

目  録(三) 以下省略

とあるのみであつて、他に何等の書類の添付なく、仮に何等かの書類があつたとしても夫れは第二審判決とは一体を為したものではない。

三、斯くの如き有様では本件のレコードなるものは一体何を指すのか、判決自体によつては全く珍紛漢紛であり、訴訟の目的物が何等具体的に特定されてない。

四、使用禁止を求める一審原告等の請求の趣旨が一定しなければならぬ、且訴訟の目的物たるレコードが特定しなければ具体的な判決は為し得ないとは、上告人が一審以来強く主張して居るにも拘らず一審並に二審判決共その煩労を嫌ふてか、レコードを特定ししない為、結局判決に理由を附せざるの違法を生じ、原判決は一体何を云つてゐるのか日本語として意味を為さないことと相成つた。

五、判決は須く判決自体を以てその理由が明白でなくては困る。

第二点 原判決は訴訟の当事者でないものに判決を言渡した違法がある。

一、第一審原告が当事者として訴えたのは

北海道札幌市市北一条西三丁目三番地

北海道ミユージツクサプライ

被告 西 村 一 男

である。そしてその請求の趣旨は

被告は原告の製造販売に係る蓄音機レコードを被告経営のミユージツクサプライに使用してはならない

と云うにあつた。

二、一審判決の認定した当事者は

札幌市北一条西三丁目三番地

北海道ミユージツクサプライこと

被告 西 村 一 男

である。

個人西村一男の住所は当初から右札幌市北一条西三丁目三番地以外にある。

三、第一審原告等及び第一審被告が控訴した当事者も亦

控訴人若くは被控訴人

北海道ミージツクサプライこと

西 村 一 男

である。

四、その北海道ミユージツクサプライこと西村一男が本件訴訟中昭和三十三年七月音楽の有線放送事業を廃止した。

西村一男個人は経営者たる地位から退いたから右有線放送事業につき管理権を失つたので正当な当事者ではなくなつた。正当な当事者は個人西村一男からその事業を承継いだお話機械株式会社(旧称株式会社北海道ミユージツクサプライ)である。

原判決は右の事実に基き正当な当事者でないことを理由に請求却下の判決を為すべきであつたに拘らず事茲に出でなかつたのは訴訟の当事者に関する重大な解釈の誤である。

五、原判決は

会社の代表者が会社の業務遂行行為として現に侵害行為をなしてゐるときはその行為は一面会社の行為と認められると共に一面代表者個人の行為と認められる

と述べているが、右の様に会社の代表者社長が放送してゐるような小規模の企業はそのようなことも云えるかも知れないが、夫れは稀々起きた偶然であつて、そうでない場合には直ちに右理論が誤りであることが明白であらう。

六、訴えられたのは

北海道ミユージツクサプライこと

西 村 一 男

であつて、会社の代表者、事業行為担当者としての西村一男ではない。

成る程西村一男は会社の内部で放送に従事はしている。

原判決は即時確定につき西村一男を相手方にすることにつき利益があると云う場合と右の正当な当事者であるかないかの問題を混同している。

七、原判決の云うような一つの行為が一面会社の行為あり、且他面個人の行為であると云うような矛盾した法律評価を為し得べきものではない。

此のことは法人に犯罪行為能力がないところから実行者個人を罰する場合の理論を誤つて導入しているものである。

第三点 レコード著作権の内容につき重大な誤解をしている。

一、原判決は曩に援用した通りであつて第一審被告に対してレコードの出所の明示を命じている。

二、その命じている明示の範囲は何等法律に基かない独断であり、レコード著作権とそのレコードに吹き込まれた生(なま)の音楽著作権との混同であるが、第一審被告は法律通り出所の明示をしているところ、法律の命令通りの出所の明示を判決も命じているとは全く奇妙な感じがする。

三、然し乍ら我国の著作権法上にレコード使用の許諾権なるものはない。

何人もレコードは自由に使用し得る。

ないからこそ放送に使用しても偽作にならぬ。法律は唯出所の明示を命じているだけである。

然も法律は出所の明示をしなければ処罰するだけであつて、出所の明示をしなければ偽作となるとは云つてない。

四、何人もレコードは自由に使用し得る。

之を有線放送に使用することも亦差支えない。

イギリス、カナダ、オーストラリア、インド等の諸国はレコード放送の許諾権ありとして村の牧師の園遊会に到るまで使用料を徴収するそうであるが、夫れには夫れだけの法律の規定と判例がある。

アメリカはレコードの著作権なく、唯不正競業禁止の立場から無許可複製を禁じているだけであると聞及んでいる。

我国には本来レコードに著作権なきを法第二十二条の七で著作権者と看做されたに過きず、レコードの有線放送許諾権などは勿論ない。

之は法第二十二条の五の反対解釈からも生れて来る。

ラヂオに不完全な許諾権を認めたものが、夫れより少規模の有線放送に許諾権がある訳がない。

五、茲に我慢がならないのはラヂオには公共性があるからよいが有線放送は違うとか、当時有線放送事業は考えられなかつたとか、同法改正の経緯に照して有線放送は含まれないとかの議論である。

本件では何も公共性が問題であるのではなく、有線放送は歴史的に古くから存在した形態であり、立法理由だけが解釈材料の全部ではないことを考えれば思い半ばに過ぎるであらう。

六、放送と云えば読んで字の如く有線放送も勿論含まれて居り、之が常識と云うものである。

七、右の次第であるから原判決破棄相成度い。        以 上

上告人の上告理由

第一点 判決の根本的誤り

第二審判決理由の中で「有線放送はレコード複製の一種であつてレコード著作権の中に含まれる」とあるので、この点について考えてみる。

著作権法第二十二条ノ七の条文中、「看做ス」とあるのは商業レコードに本来的な著作権がないのであるけれども、大正初期の有名な雲右エ門の浪花節レコード偽作事件という特殊の事情のために特に例外的に、且つ、本来の著作権に派生した権利として認めるという意味である。

又、同条々文中、「其ノ機器ニ付テノミ」とあるのは、本条制定の由来から自明のとおり、「其のレコードの有形的な複製についてだけ」ということにほかならない。即ち、著作権法第一条に規定された「文芸、学術又ハ美術(音楽ヲ含ム、以下之ニ同ジ)ノ範囲ニ属スル」ものではなく、レコード製造業者の権利は単にレコードの有形的な複製権に留まるものであつて、レコードによる興業権や放送権は含まれていない。

従つて、上告人の有線放送は被上告人等レコード製造業者の権利には何等抵触するものではないので、被上告人等の「レコードを有線放送に使用してはならない」という請求は、本条項の適用だけで棄却されるべきであつて、第二審判決は、レコード製造業者の権利の内容という最も根本的問題について、法解釈の誤りがある。

第二点 出所明示の方法について

第二審判決主文又び理由に於て、レコードを有線放送に使用するに当つて、作曲者、編曲者、作詞者、演奏者、歌唱者の氏名までも明示せよとしているので、この点について考えてみる。

著作権法第三十条は、法文の全趣旨から判断して、著作権者と著作物の利用者との間の利害の調節をはかると共に、著作物の有効適切な利用を促すという事が目的と考えられる。従つて、同条第二項の出所明示についてもそのレコードが何処から出されたものであるかという事を示せば充分であつて、これだけでレコード製造業者の権利は充分確保されるものである。

又、仮りに、第二審判決にいう、「人格権の保護の趣旨に出たもの」としても被上告人等レコード製造業者と作曲者、編曲者、作詞者、演奏者、歌唱者との吹込契約は単に物権上の契約であつて、その人格権までも譲り受けるという契約はしていないのであるから、被上告人等のレコードを放送するに当つて作曲者、作詞者等の氏名を明示せよとの判決は、結局、他人の権利に対する請求を認めたことになるので明らかに失当であります。

第三点 証拠の判断の誤り

第二審判決理由中に「、…‥レコードの題名、会社名等の放送は不完全で殆ど聴き取りにくいことが認められるから……」と述べているので、この点について考えてみる。

第二審裁判官は、上告人、被上告人双方より提出された録音テープの法廷における再生音を証拠として「不完全で殆ど聴き取りにくい」と判断したものと考えられる。

そもそも音声の明瞭度というものは、その部屋の建築音響学的要素に著しく左右されるものでありまして、第二審の札幌高等裁判所の法廷は裁判官、弁護人、証人等の発言さえも聴き取りにくい位明瞭度が悪く、ましてや、一度マイクロホンを通じて録音し、余り上等でないテープレコーダで再生された音響を対象としては、かかる出所の明示、明瞭、不明瞭を判定する資料とはなり難いものであつて。第二審の判決に於てはこの点の考慮が全く払われて居らず、証拠の判断を誤つているというべきである。 以 上

附帯上告代理人城戸芳彦、同松井正道の上告理由

第一点 著作権法第三十条第一項第八号は憲法第二十九条(私有財産の保障)に違反する。

一、原判決は著作権法の右法条を以て日本国憲法に適合するとの前提の下に、附帯被上告人西村の本件有線放送に対して右法条を適用(「興行」に該当すると判断)した。

二、而して著作権法第三十条は著作権の権能として本来は包含されるもののうち、或る種の方法による利用については、その権能の行使を一定の条件の下に例外的に制限したものであるが、昭和九年改正法により新設された同条第一項第八号は何等の財産上の補償なくして、録音物による興行権及び放送権を剥奪する規定であつて、明らかに憲法第二十九条に違反する条項であると信ずる。蓋し、著作物につき著作権を有する者が、これを放送乃至興行の方法による排他的利用権を有すべきことは、著作権を財産権として保護する著作権法全体の精神からの当然の帰結であるから、かかる財産権たる放送権・興行権を無償で一挙に奪い去る如き法律の規定は、正に基本的人権を侵害すべきことの明らかな違憲の法規であると云わざるを得ない。

放送・興行に著作物を利用することの自由は、放送・興行等の企業が著作物を自由に利用し得ることを意味するのであつて、これらの企業の利益が、「一般公共の利益」の名を潜称して、著作者の経済的利益を無視し、営利目的に著作物を自由に利用させる結論を導くことは甚だしく不当であり、これを正当化すべき何等の合理的根拠も存しない。

公共の福祉のために、財産権を収用する場合でさえ、正当の補償を必要とするのが憲法上の大原則であるのに、他人の創造の成果たる著作物を利用して経済的利潤の追求を図ることを目的とする興行事業者・放送事業者(NHKの如き公共企業体は論外である。)の利益のために、著作者の財産的利用権能が全く無償で剥奪されることが、基本的人権の擁護を使命とする日本国憲法の許容するところであるとは到底解せられないのである。

第二点 仮りに著作権法第三十条第一項第八号が違憲でないとしても、同条にいわゆる「興行」に「有線放送」を含むものと解釈することは、判決に影響を及ぼすべき重要な法律違背である。

蓋し、同法第三十条は、前記第一点に述べた如く、本来、著作権に句含される権能の行使を例外的に制限したものであつて、かかる権利の制限はこれを厳格に解すべく、みだりに拡張解釈を許すべきものではない。即ち、「放送」と「興行」とが別個の概念として法定されているところからみても明らかなように、前者は無線通信の方法により電波を発射すること(発射された電波を受信して視聴する段階に先立つ過程である。)であり、後者は、不特定又は多数人の面前で催物などを視せ又は聴取させ或は視聴させることであるから、本件にいわゆる「有線放送」が右の何れにも該当しないことは明らかである。何故なら、右「有線放送」とは、附帯被上告人西村が、その加盟店に対し、有線通信の方法により、電気的信号を以て、レコード音楽を送信するに止まるのであつて、右送信の結果受信して、不特定又は多数人をして之を聴取させる所為(これが即ち「興行」である。)は右加盟店が行うものであることは原判決が適法に確定した事実によつて明らかである。

第三点 著作権法第三十条第二項の定める「出所明示」を欠く以上は、同条第一項各号(殊に第八号)に定める著作物利用行為は、準物権的権利たる著作権侵害を構成し、著作権者は右利用行為につき、単に出来明示請求権を有するに止まらず、当該利用行為そのものの(差止)請求権を有するものと解すべきである。

然るに原審は、右の場合、著作権者は単に出所明示請求権を有するにすぎず、当該利用行為(例えば「興行」)そのものの禁止を求め得ないと解したものの如く、附帯上告人等の著作権侵害となるべき附帯上告人の有線放送が今後反復される虞あることを肯定しながら、右有線放送そのものの禁止を求める附帯上告人等の請求を敢えて排斥し、単に、出所明示を命じたに止まつたことは原判決主文に影響を及ぼすべき重大な法律違背があると云わなければならない。

第四点 原判決は、附帯上告人等の著作権侵害行為(有線放送)が附帯被上告人西村により今後反復される虞あることを肯定しながら、右有線放送自体の禁止を求める請求を容れず、単に出所明示を命ずれば十分であるとしたが、その理由として、附帯被上告人には出所明示をなす意思が全くないとは認められないことを挙示している。

しかしながら、右の「出所明示をなす意思」が存在し得るということは、果して如何なることを意味するのであろうか。若し、「出所明示をなす意思」の存在することが肯認されるのであれば、著作権侵害の今後反復される虞は無きに帰すべく、かくては、侵害反復の虞の有無につき前後相矛盾した判断をなしたものと云わざるを得ない。又、「出所明示をなす意思」の存在することは未だ不明であるという意味であるとするならば、侵害反復の虞ありとした最初の判断は、なお之を維持する趣旨であるのか、或はこの判断を変更した趣旨であろうか。仮りに前者であるとすれば、侵害反復の虞ありとしながら、有線放送自体の禁止請求を排斥した点において前記第三点に掲記の法律違背であると云うべく、又、後者(即ち侵害反復の虞ありとの最初の判断を変更した趣旨である場合)とすれば、侵害反復の虞の有無につき、やはり前後相矛盾した判断をなしたものと云う外なく、いづれにしても、原判決には理由齟齬の違法ありとの非難を免れないものである。          以 上

附帯上告代理人勝本正晃の追加上告理由

本件上告人の如く、レコード会社の製作したレコードを有線放送することが、レコードそのものの無形的複製行為に外ならず、これを受信して、拡声器により、カフエー、キヤバレー等が放送すること自体が、一つの興行と認むべきであり、従つて、有線放送を為すについては、本来レコード会社の許諾を必要とするわけであるが、仮りに、有線放送が一種の興行に他ならずとすれば、かくの如き方法によつて興行を為すことは、一の権利の濫用というべきである。蓋し、或一ケ所においてレコードを演奏し、それを多数の場所と有線にて連結し、同時に、各場所において放送するときは、当然、多数のレコードを同時に各場所において興行することになり、一枚のレコードにより、多数のレコードを複製、興行したのと同じ結果となる。かくの如きは、単に、レコード会社の営業上の利益を害することのみを目的とする行為であり、かつ、レコードの興行方法として極めて異状なる方法であり、其弊害の及ぶ所、計り知るべからざるものがある。およそ、権利の行使に当つては、信義誠実にこれを行使すべきであり、たとえ、法律の形式においては一応認められている方法であるとしても、日常生活において、極めて異状な方法を用い、かつ其結果、第三者に不当なる被害を与える行為は、権利の濫用として、民法第一条に反し、又憲法第十二条の趣旨に反するものというべきである。

従つて又、本件は、不正競争防止法の趣旨に反する行為として禁止せらるべきものであり、これに反するときは損害賠償をも請求し得るのである。不正競争防止法第一条によれば、他人の商品と同一又は類似のものを販売、拡布する行為を禁止している。

前述のように、ミユージツク・サプライの興行によつてレコードの異種複製が成立するものとすれば、かかる興行は、レコードを無断複製し販売拡布することに該当することとなる。従つてかかる興行の差止め、又はこれによる損害賠償の請求が可能である。因みに不正競争防止法第六条は、独占禁止法第二十三条が著作権法を除外しているのと異なり、著作権法も包含する趣旨であることに注意を要する。

なお、本件店舗営業者のレコード興行行為は、喫茶店等が本来飲食物其他の供給を為すことを目的とするものであるから、音楽等を供給しすることは、いわゆる抱合営業に類似するものとして物価統制令第十二条に違反する虞れあることは、前四の権利濫用の理論を強める理由となると共に、別途において物価統制違反となる疑いがある。かような行為に加担するミユージツク・サプライの行為は法律上許すべからざるものである。

以 上

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